約 1,975,077 件
https://w.atwiki.jp/deserteref/pages/384.html
バウエルバッハ(宇宙暦?年 - )は銀河帝国のの貴族軍人。オリジナルキャラクターである。 略歴 宇宙歴791年11月対帝国反攻作戦「自由の夜明け」において、占領地を統括する辺境鎮撫軍の副司令官として登場した。階級は大将。 ドラゴニア航路方面の防衛を担当した。しかし、数に勝るドラゴニア方面軍司令官シドニー・シトレ大将の侵攻を食い止めることはできず、同年12月シトレ大将に第二次ドラゴニア星域会戦で敗走を余儀なくされる。(*1)戦後はフェザーンマスコミに「別荘地にて病気休養」することになったと報道された。敗戦責任を追及され、収監されたとのことである。(12話)その後の動向は不明。
https://w.atwiki.jp/doide/pages/35.html
https://w.atwiki.jp/doide/pages/2.html
メニュー トップページ メニュー 『ドイツ・イデオロギー』 序文 序論の第一草案 序論の第二草案 序論の第三草案 本論一 本論二 本論三-1 本論三-2 付録1 「ア」 付録2 「フォイエルバッハについて――抜粋と評註」 補録 「フォイエルバッハに関するテーゼ」 マルクスのひととなり マルクス 1840年代 個人ページ began_jp otakazu キーワード 分業化 リンク @wiki @wikiご利用ガイド ここを編集
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/86.html
第5章 唯物論の宗教観の根本的転換(P179~) ―認識論主義から“実践としての宗教”観へ― “実践としての宗教”観はいかなる意味で唯物論なのだろうか →本章:唯物論の宗教理解の基本的論点と位置づけの確認 通俗的唯物論の認識論主義的宗教観の問題点と限界を明らかに 1 唯物論の意味とその理論的性格 唯物論とは何か(P179~) 唯物論materialism =精神(人間)と自然の関係、意識と物質の関係について、どちらが根源的かと問われれば、自然や物質のほうが根源的だと認める理論的立場(エンゲルス 1972を援用) ⇔観念論idealism 人間と自然について 精神的存在である人間は自然の歴史的過程で産出され、それゆえ人間は、一面では自然を改造しつつもあくまで自然の一部として存在し、究極的に自然に依存 意識と物質について 人間は何より身体として存在し、精神や意識は身体の物質的活動の所産 思考と存在について 人間の思考やさまざまな精神的活動は、根本的には、人間の存在のあり方(身体性、物質的条件、社会的関係、自然など)に規定される ○注目すべきポイント 世界や知の見方に関わる哲学的立場であり、人間・文化・社会を理解するための方法論的・理論的な立場 精神や意識活動の存在を否定して、世界や人間を単純に自然や物質からのみからなると見る立場ではない →・(本書において)唯物論=タダモノ論という理解とは無縁、宗教と相容れないといったことは決してない ・科学主義やいわゆる反映論とは無縁 唯物論の基礎としての感性的生の地平と実践(P181~) ○「科学主義やいわゆる反映論とは無縁」ということについての補足 上で援用した唯物論の定義 →世界が意識・精神界と物質・自然界に判然と二分され、後者の内実が前者に投射されるというイメージと結びつく(実物と鏡像の関係をイメージさせることも拍車をかける) →意識現象が、客観的世界の正しい反映と誤った反映に二分 ⇒意識活動は客観的世界(真理・科学的認識)に従うべきという短絡へ ※認識論主義の宗教観はこのような短絡と密接に関連 →難点は、科学的世界の実体化と意識界・物質界のアプリオリな前提 ○フォイエルバッハの人間学的唯物論 人間を原理的に心身不可分の人間的(文化的)身体とみる 自然科学が明らかにする自然界は現実の感性的自然の物質的側面の抽象 (「生ける自然」から生の関わりを捨象した「死せる自然」) 科学的自然はそのようなものとして、 人間の生の現実を貫く物質的客観的原理の解明として人間・現実理解の重要な意味をもつ ⇒科学的世界は実体としてアプリオリに意味をもつのではない 意識と物質の区別は存在論的区別ではなく認識論的区別で、区別の必要は「実践」に由来 例:パン、恋人 実践的唯物論における科学的認識・理論の位置づけ(P184~) 以上のことは、客観的世界の内容も実践的連関・感性的世界と無関係に存在するわけではないという視点と不可分 →科学的認識の内容は実践的連関からのバイアスの刻印を免れているわけではない 科学的認識の内容は本質的に実践的連関と一体、実践的意識・イデオロギーに浸透されている ⇒科学的認識の客観性は、 実践的意識・イデオロギーの不断の見直し・批判を通じてのみ担保される ※見直し・批判の源泉はとりわけ人間(的身体)の生の営みにおける「窮迫」にある ○まとめ 物質界・客観的世界を存在論的にアプリオリに実体化 科学的認識を真理として絶対化 逆立ちしている理論的枠組 科学的真理を生の営み・実践の根本原理に置く ⇒唯物論は実践的唯物論、批判理論たらざるをえない 2 唯物論の宗教観の古典的論点とその現代的意義 本節:このような理論的立場としての実践的唯物論からは宗教はどう理解されるのか (主に、フォイエルバッハ、マルクスによりながら) =唯物論の宗教論の基本的理解とされてきた内容とその歴史的意義を再確認 あらためて現代的意義を明確化 ※これまで唯物論の宗教論の根本と解された内容は、 歴史的文脈を度外視して結論だけをみてきたきらいがある 神の不在と宗教の虚偽性の焦点(P185~) キリスト教:神が世界の創造者 自然と人間は神の被造物として神の意思と計画に基づいて存在 ⇔18世紀の啓蒙主義的唯物論(特にフランス百科全書派) ・自然が客観的に存在し人間は自然の一部として自然によって産出 ・人間によって神が産出 ⇒キリスト教の世界観は虚構、それに基づく自然解釈は虚偽 ※デカルト以来の近代哲学によるキリスト教批判の徹底として唯物論は生まれた →フォイエルバッハ 生きた人間が生きた感性的自然に根源的に依存することを基礎に論点を継承 →マルクス、エンゲルス ・フォイエルバッハのいう感性的人間および人間・自然の関係は社会的関係を通して存在 →歴史的変化の中で存在 ・キリスト教の神と教説は社会の客観的関係に背反するがゆえに空想・虚偽 ⇒神(超越的存在)は主観的存在 宗教的言説における神と社会・人間・自然に関する客観的な存在関係は虚偽、幻想 疎外としての宗教とその人間的意味(P187~)/ 疎外された実践としての宗教への視点(P190~) 神の不在と宗教の虚偽性は客観的認識に関してである =神と宗教が主観的理念存在として人間生活に存在することは人間的事実として認める →その人間的事実のうちに神と宗教の必然性と人間的意味があり、 そこから宗教固有の構造が見えてくる(この視点を重視したのがフォイエルバッハ) ⇒宗教は人間の本質的活動の疎外された形態であるという視点へ ○宗教を人間の本質的活動の疎外された形態だとみる際のポイント 1神ないし超越的存在は人間の本質と自然の疎外されたもの フォイエルバッハ 神の“正体”は自然と人間の類的本質 自然と人間の本質が絶対化されて神へ、人間や自然は無力化し神に依存・服従する存在へ 人間は神によって力と価値を回復、人間らしい生を保障される →このような構造がもつ本質的な逆立ち=疎外 ⇒神は現実生活のうちに存在し、内容的には人間に関わる実質をもつ存在だという視点へ 2神と宗教が存在する必然性は現実生活の状態にあり、その核心は生活の悲惨さ、欠如感 「窮迫した生活」「根源的依存性」(フォイエルバッハ) ・客観的現実的な窮迫・依存 ・主観的心理的窮迫 ↑これらに宗教の必然性がある →現代の宗教理解にとっても重要な論点を含む ・宗教の意義は、内面的・心理的条件と客観的条件、どちらかだけでは理解できない ・客観的条件としても、内面的条件としても、人間関係の欠如が決定的 「人間は自然によって存在し、人間によって人間となる」(フォイエルバッハ) ⇒神がどんな性格と内容をもつかは、信仰する人間に何が欠如しているか、と相関関係 +「神なし」と唱えることについて 「窮迫した生活」、「根元的依存性」と呼ばれうるような心理的に追いつめられている人たちに、「宗教なんて幻想だよ」と説教することに、どれくらい意味があるのか? 3宗教は人間存在の本質的構造を基礎としていて、疎外された形態における人間的実践 各宗教共通の人間的意義 信仰者の生活上の苦悩や不安を心理的に解消し、主観的に主体性を回復する 宗教ごとに多様な人間的意義をはらんでいる 例:フォイエルバッハによる自然宗教とキリスト教の分析 →人間らしさの根拠を人間の共同性におき、他者との共感関係を通して自分らしさがあることを前面に押し出す視点は、現代においても重要 ※宗教は、客観的には抑圧的ないし非人間的となる必然的傾向をもつ 例:神の愛ゆえに異教徒や批判する人には敵対的にもなるキリスト教 4宗教への否定的肯定的な「二重の態度」 人間疎外の側面、人間抑圧性、人間性剥奪→否定 人間性回復の側面、人間解放性、人間性形成→肯定 ⇒否定性と肯定性を分別し、否定性を除去する点に宗教批判の課題を見るという視点へ 例:フォイエルバッハによるキリスト教の整理 社会的存在としての宗教とその社会的意味(P192~) 以上の基本視点を社会との関係で豊かに →マルクス・エンゲルスの史的唯物論 ・人間学的唯物論からの宗教批判を継承 ・フォイエルバッハの、人間と宗教を歴史的な社会産物と見ない点を批判 ○史的唯物論のポイント 1ある社会にどんな宗教がどんな形態で存在するかは、その社会の歴史的構造に規定される ※社会構造から宗教現象を説明・整理するのではなく、宗教現象から社会の構造の分析へ 2宗教存立の独自の根拠として、社会的根拠がある フォイエルバッハ:人間の本質的な存在構造から宗教の自然的根拠と人間的根拠を明らかに →これらは社会の構造に規定される=人びとの願望や欲求は社会の構造によって異なる 3宗教(教団や運動)自体が社会システムの一部をなす ○宗教の社会的機能 社会的統合機能 宗教は一つの社会制度であり、社会的統合(ないし解体)の機能をもつ 一制度であるだけでなく政治制度、共同体、家族制度などほかの制度と有機的に連関 イデオロギー性 社会制度や社会的行為を宗教的な虚構の理念や目的によって意味づけし説明する 例:神の権威によって人間の生の目的を幻想化し教会や国王の専制的な抑圧への服従を神聖化 ⇒民族抑圧・性的抑圧・弱者抑圧など多次元にわたる社会的抑圧関係に拡張すれば、 現代においてもますます重要な視点 3唯物論=反宗教の歴史的誤解と払拭 以上のような論点は、現代ではほとんどの宗教学者・研究者に共有されている =唯物論哲学は“公平に”宗教を理解するための基本視点を提起してきた →超越的存在を認めないという非宗教的立場には立つが、反宗教思想ではない 唯物論の反宗教イメージとその払拭の歴史的背景(P195~) 唯物論が反宗教だとみなされる理由 =唯物論の宗教観がキリスト教による社会支配体制の変革運動の中で形成されてきたという歴史的事情 ○反宗教的イメージ形成の歴史的過程 絶対王政に対する市民革命の過程で西欧近代哲学・唯物論哲学は形成 例:フォイエルバッハ・マルクスはドイツのキリスト教国家の市民抑圧の現実の批判から →ロシア革命と社会主義国成立により唯物論が反宗教というイメージが決定的に ・ロシア正教が帝政ロシアと同盟したため、革命運動は反宗教的様相を呈す ・スターリンにより“マルクス・レーニン主義”が歪曲、“社会主義=無神論”教育の徹底 ※レーニンは、マルクスを受け継ぎ、宗教撲滅運動の無意味さを指摘している →キリスト教や宗教各派は社会主義・マルクス主義・唯物論に対して反宗教と非難キャンペーン 資本主義諸国ではマルクス主義を信仰の自由を認めない反宗教思想だとみなす ○反宗教的イメージの払拭 1西欧マルクス主義によるスターリン=マルクス正統主義の否定 →フォイエルバッハの再評価も 2宗教界の唯物論・マルクス主義思想の評価の変化 カトリック:1960年代に宗教としての形骸化と自己絶対化を反省、エキュメニカル運動 唯物論・マルクス主義に対する敵視をやめる〔クラッグマン1980〕 3宗教と唯物論・マルクス主義双方のイメージ変化は、 現実的苦悩の解決のための双方の地道な協力協同の延長上に起こった(岩崎・志木1990) 例:反ファシズム運動、戦争・貧困問題・人権抑圧に反対する協力共同 →80年代末、社会主義の崩壊によって一般的にも政治主義的偏見から解放、再評価へ 日本の通説的唯物論宗教観の変化(P198~) 日本において唯物論的哲学の宗教論は天皇制ファシズムの下での“宗教=アヘン”論として展開 ※服部之総のように(小西・遠山1998)宗教が民衆の利害を代弁する側面に注目する議論もあったが、圧倒的に少数(亀山2003) →敗戦後の絶対主義的天皇制と地主制解体により、平和・貧困を基盤とする宗教への注目 →世界的な宗教論の“和解”の影響もあり、宗教との対話を強調する唯物論哲学の展開へ ○日本における宗教との対話・協調を強調する唯物論的宗教論の理論的特徴 1“宗教=アヘン”論が誤解であることを明らかに マルクスが『法哲学批判序説』でアヘンを持ち出したのは、 苦痛緩和の意味に過ぎないことが明らかに(蔵原1978) 2宗教の原点が民衆の抑圧からの解放の要求と願望の表現にあることを強調 →仏教も社会主義と共通の根をもつことが強調される 3宗教者と唯物論者その他世界観・価値観の異なる人びととの協力共同の重要性を強調 →民衆の現実的苦悩の解決のために「天上の問題」での相違による対立から、 「地上の問題」での協力共同へ(岩崎・志木1990) →否定的側面に重点を置いた戦前から、戦後は宗教の肯定的側面の解明が進んだ ⇒問題は、この両義性の関係をどう見るか ここが解明されなければ上の変化は単なる政治的ご都合主義でしかなくなる 宗教進化論と通説的唯物論の宗教観の枠組み(P200~) 宗教の両義性の関係をそれなりに説明し、通俗的唯物論の宗教観に基本的枠組みを与えた →宗教進化論に注目 =エンゲルスに似依拠しつつ ウェーバーの“合理化=脱魔術化”論の影響も受けた佐木秋夫(1980)らによって展開 ○宗教進化論 宗教の否定的側面の主な要因である虚偽意識性は原子未開の時代の自然などに対する 誤った表彰に起源をもつ それは、人間と文明の歴史的進歩とともに克服 →宗教は“私事”の事柄へ、個人の内面的原理の問題に収束していく 原始宗教、自然主教→民族宗教、民俗宗教→世界宗教、普遍宗教 →天蓋的宗教→近代的内面主教 =“本来の宗教”固有のあり方へと“純化” 後に、資本主義の根本的変革と階級社会の廃絶によって純化の果てに自然消滅 ⇒これらは、フォイエルバッハやマルクスの宗教理解の基本的論点の20世紀的展開の到達点 =通俗的な唯物論・マルクス主義は現実社会やそこで生きる人間において宗教が存立する必然的根拠を理解し、社会の積極的な社会的意味を見出すことを基本方向としていた →しかし、認識論主義の基本的枠組みのゆえに宗教ジレンマ(1章)に陥ってしまっている →次節ではそれらの問題点を整理し、“実践としての宗教観”の射程を示す +「どうして科学万能というイデオロギーが流行ったのか?」
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/180.html
【疎外された実践】 “実践としての宗教”観はフォイエルバッハの宗教=疎外された実践(宗教は疎外された形態における人間的実践)という基本視座を根幹にすえる。 宗教は疎外された実践であり、それゆえに人間の生にとって肯定的否定的な両義性をもつこと、それは社会的イデオロギーと密接に連関していること。 新しい“実践としての宗教”観はフォイエルバッハの人間学的唯物論をベースとしている。フォイエルバッハは宗教を疎外された実践ととらえるとともに、宗教の根拠は人間的生活における受苦と悲惨さにあるとした。そして宗教の人間的意義--彼の用語では宗教の肯定的本質一は、神(超越者)と関係または合一することによって、欠如する人間的本質(類的関係)を獲得し、諸個人が受苦と悲惨を克服し人間としての主体的振る舞いを確立(自己確証)する点にあることを展望した。さらにマルクスは,生活の受苦と悲惨は現実的関係(客観的関係)においては対自然・対社会関係において諸個人が抑圧されていることに由来するとした。 【疎外された形態】 宗教の人間的意義といっても、それは疎外された形態においてのみ存在しうる。宗教的世界においては人間は人間らしさと価値を剥奪された存在であり、超越的存在の力によってそれを回復するというのが宗教固有の本質的構造である。そのため宗教は、信仰者の主観的心理では人間性と価値の実現であっても、客観的には抑圧的ないし非人間的となる必然的傾向性をもつ。 【人間疎外】 ≪太田所感≫ 「かつては他者や自然との関係において調和の保たれた社会があったのに、それが近代資本主義によって疎外されてしまったから、再びかつての調和を高次元で回復しなければならない」というノスタルジックなまとめ方にはしたくないが、そのように読めてしまうのはいったい亀山=フォイエルバッハ疎外論のなにが背景となっているからなのだろうか。110815 カントおよびヘーゲルら、ドイツ観念論の自然概念と疎外の親和性は異常。疎外はそれ以外の主要な自然観には、基本的には見られない。110815
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/183.html
豊かな社会、ではなく、豊かさ社会。モノとココロの禿離、閉塞感、存在の希薄化などが言外に含まれる。オウム真理教事件を扱った『離脱願望』(1996年)で多くの論者が使用している。 亀山=フォイエルバッハ宗教論とほとんど随伴するかたちで頻出する語句。現代の「豊かさ社会」の「宗教ブーム」を考えていくうえでは、旧来の正統的史的唯物論の宗教観では原価いがある、という流れでフォイエルバッハの「宗教=疎外された人間にとっての実践」論へとつながる。
https://w.atwiki.jp/doide/pages/14.html
カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日) 彼はドイツのライン地方のトリーアに1818年、ユダヤ人の家系として生まれた。1835年(17歳)、彼はボン大学の法学生になったが、むしろ広範囲に活動し、父親の進言もあってその後ベルリン大学に転学した。ベルリンで彼は哲学に転向したが、本気で博士論文の仕事に取りかかったのは、彼の父の死によって自分の金銭的事情や生涯の見通しについて考慮せざるをえなくなった後であった。この論文は1841年に受理されたが、彼の期待していた大学の講師職は得られなかった。そこで彼はジャーナリズムに転向することになる。 1842年(24歳)、政治問題や社会問題についての執筆で大いに活躍していたマルクスは、ついに「ライン新聞」の主筆になる。だがその職は長くは続かなかった。プロシア政府がその新聞に圧力をかけたため、1843年(25歳)、結婚したてのマルクスは、若妻イェニーを連れてパリにわたり、そこで「独仏年誌」のために執筆を始める。ところがこの企てもまた失敗に終わる。この「独仏年誌」の革命的考えのゆえに、プロシア政府はその編集者たちの逮捕状を発効させたのだ。これは、マルクスがプロシアには帰れなくなったことを意味していた。 彼はフランスにとどまり、自らの政治的考えや哲学的考えを発展させ、フリードリッヒ・エンゲルスとの友好協力関係を始めた。1847年(29歳)、彼はロンドンに行って共産主義者同盟の新たな結成会議に参加し、エンゲルスと共同でこの同盟の教説の簡単な宣言文を起草する任務を託された。この宣言文が、「共産党宣言」である。1848年(30歳)に出版された。 それまでマルクスは、祖国やフランスやベルギーでは政治的不評をかっていた。そこで1849年(31 歳)、彼は家族をロンドンに住まわせて、その地で余生を送ることになる。それ以降数年のあいだ、彼にはすべてが酷しく困難であった。一家は生活費にも困窮していたうえ、子どものうちふたりが幼くして亡くなり、おまけに8歳になったばかりの長男エドガーまで次いで病死したからだ。それでもマルクスは精力的に仕事をこなした。多くの新聞記事や『資本論』の草稿を書き、あらゆる種類の政治的議論や論争にも加わった。大量の煙草と吸い、レモネードを鯨飲しながら。 彼が50代になるころまでには、彼の考えは確立された。「資本論」は1872年(54歳)にロシア語に翻訳されて広く読まれるようになったし、そのころまでにはよく知られるようになっていたマルクスは、ヨーロッパ中の志を同じくする理論家たちとの定期的な接触も楽しんだ。だが彼の晩年はまたしても家族の死によってつらく不幸なものとなった。孫が幾人か幼いまま亡くなり、1881年(63歳)には彼の妻が長い闘病の末に亡くなった。さらにこの喪失の翌年、彼の娘のひとりの死が追い打ちをかけた。マルクス本人は1883年3月14日に亡くなった。64歳だった。 関連人物 へーゲル(1770-1831) フォイエルバッハもマルクスも、みんな彼のもとから巣立っていった。ドイツ観念論の完成者。 フォイエルバッハ(1804-1872) 若いときのマルクス、エンゲルスが心酔した唯物論者。あとで、「フォイエルバッハは結局、妻と花しか愛さなかった」とその思想の観念性を非難。→フォイエルバッハに関するテーゼ ニーチェ(1844-1900) ミル(1806-1873) ダーウィン(1809-1882)
https://w.atwiki.jp/psoemu/pages/349.html
炎の上級テクニック。 対象を中心に爆発を起こす。 ロックオンしていないと爆発が起きない。 攻撃判定が爆発のエフェクトよりも大幅に広い。とりあえず撃てばほぼ敵全体を巻き込むだろう。 その広さで手付けとしても優秀。ただし前述の通り1つの対象をロックオンし、そこを起点に発生する為、その敵が発生直前に倒されると不発する。 この点、類似の攻撃範囲をもつギゾンデとは異なる。レベルが高くなるにつれ連射性も上がり炎に弱いエネミー群を一掃できる。 特にEP4では炎耐性の弱い敵が多いため、ラフォイエの連打が強烈な全体火力&制圧となって撃破殲滅を大きく後押しする。 ただどの属性でも言えることだが、高レベルになる程威力が フォイエ>>>>>ギフォイエ>ラフォイエ という図式になる。GC以降のフォニュームではブーストしないためそこまで弱くはないが、出てくる敵がわかっている場合、ギフォイエをばらまいておいたほうが大ダメージを与えられるかもしれない。 EP3では前方に範囲のある攻撃で、ギフォイエの重装備貫通に対し大キャラ貫通を持っている また、威力はラバータと並んでテクニックカードの中で一番高いのだが、弱気(+大キャラ貫通)持ちの関係で思うように威力が出せない事も多い。 特に複数の敵を一掃したい場合は注意。1体でもSキャラが攻撃対象に含まれていると他の敵へのダメージも激減してしまう。 安定して高威力を発揮でき、使いやすい範囲に高い凍結率まで持っているラバータに対し、威力が安定しないこちらは些か使い難さが目立つが 大キャラ貫通は序盤のリードに、貫通が発揮しなくなる後半は高威力の広範囲攻撃用と、ラバータに劣らない用途の広さを持つ。使い道は選ぶものの、強力な1枚。 ランク コスト TP レジストカラー レフトカラー 攻撃対象 属性 特殊能力 R3 4 +3 黄・橙 黄 特殊(下記参照)・複 攻撃テクニック 大キャラ乱撃・弱気 ラフォイエの攻撃レンジ(■=レンジ、◎=自キャラ) ■■■ ■■■ □◎□
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/240.html
亀山の最初の単著、『人間と価値』は、第一部「揺らぎのなかの生の試し」、第二部「価値への視座」、第三部「欲求と疎外」という、それぞれ主題を異にするテーマを、三部構成であつかっている。 第一部では、デカルト(一五九六~一六五〇)の思想が、エラスムスら、十六世紀のユマニストや、デカルトと同時代人のモンテーニュ、ラ・ロシュフーコーらモラリストの系譜にあるものとして位置づけられる。モラリストらは、人間の欲望を抑圧し生活を聖なる戦争に巻き込む、いわば天蓋としての超越的理論(神学、神のように世界を鳥瞰する理性)に絶望し、いわば等身大の経験的理性(“人間の自然”)を“発見”した 。デカルトも彼らと同じ思想的課題を持つ。モラリストたちと同時期、中世から近代への移行期のフランスに生きた彼は、一貫して生活において確かな指針を求め、青年期の旅や従軍の経験のなかで風習・信仰・言語の相違をこえて、人間に共通する原理を求めた。その「試し」 の過程を追いながら、近代合理主義の原型をあたえたデカルトの合理論を扱っている。 この背景となっているのは「近代合理主義の“元凶”」としてデカルトを位置づける梅原猛らへの批判である (価値、四)。現在、私たちがイメージする合理論とデカルトの構想した合理路は、本質的に同じなのか。デカルトはどのような状況のなかで二元論を構想したのか。 +「試し」のニュアンス この「試し」のニュアンスは、十六世紀、フランス宗教戦争とペスト大流行の最中にあって、徹底的な自己省察により人間とは何かを考え続けたモンテーニュの主著『エセー』によっている(うそ、九四)。竹田篤司『モラリスト』中央公論社、一九七八年も参照。 +梅原のデカルト観 梅原猛『哲学する心』(1968/1974/2002)など。合理主義の権威(または科学や“理想”としての民主主義への信頼)が瓦解した七〇、八〇年代の思想状況における、合理主義→機械的、二元論→非人間的という位置づけは、曖昧なまま、ある種の前提としていまもなお共有されているように思える。「デカルトによって基礎づけられた科学的認識の原理、内面的原理としての近代理性は感性を抑圧するものであり、自然と人間性にたいする敵対的合理であるという現代の“常識”の再検討」(価値、六八)は、いまだ継続される意義を失っていない。 亀山は、デカルトが、「人間が社会的存在として歴史的過程の内に現存するということ」(価値、七四)を射程の範囲外においていることを指摘しつつも 、この生の「試し」を彼自身の思索的態度として確認する。確認のなかでとりわけ注目されるのは、デカルトの最晩年の著作『情念論』(一六四九)に見られる、情念および道徳の考察である。デカルトはとくに道徳を論じた哲学者と見なされてきたわけではない。もっぱら、理性と情念とを区別し、情念(人間らしさ)を人間から追放した哲学者だと、少なくとも日本の一部では無自覚にイメージされている。しかしこのイメージは一面的ではないか、という問題意識がある。 以下、後の議論と関連するため、デカルトの思想をここで簡単にまとめる。『方法序説』(一六三七)、『省察』(一六四一)で行われる形而上学に関するデカルトの基本的主張の一つは「心身の分離」であった。その一方で、「心身合一」の次元である道徳をいかに位置づけるか。――この問いを扱ったのが『情念論』である。一般的に、形而上学と道徳は次元を異にする。前者は、真理とはいかなるものであり私たちはいかにして真の知識を得るのか、という問いであり、後者は、私たちはこの世界においていかに生きているのか、または生きるべきなのか、という問いとして区分される。しかしデカルトの哲学において、形而上学と道徳は別の事柄ではない。というのも、正しい判断をして、その判断に意志を従わせるという課題が、彼が見出した〈よき生〉だったからである。つまり、デカルトは心身の相互作用の問題に積極的に向かわず、むしろ心身合一・相互作用を当然の基礎事実として認め、それに基づいていかに自己を統御するかに議論を集中させる。 日常的生・道徳の次元は、心身合一・相互作用の次元にある。そのため道徳は、純粋な精神の働きにも、機械論的な自然学にも還元できない。道徳的問題を論ずるときには、「思惟と延長という範晴を脱して考えねばならない」 。デカルトは、意識の底にある情念という受動性を、知性と意志の能動性によって支配しようとする。特に、「欲望」を土台とする受動的な心の動きを、理性的な意志の下におこうとする 。ただし、情念を制御するというとき、デカルトは、情念一般が有害なものであると考えているのではない。情念は、私たちにとって有益であると「自然」の示してくれる事がらを、精神が意志し、かつこの意志をもちつづけさせてくれる。問題なのは、情念と身体行動における非必然的な条件づけ(ほんの少しの怯えで逃げ出すなど)であり、これを意識的に改新するという工夫であるとする。 『情念論』で行われるこのような考察は、デカルト自身の生の経験による「試し」の実践であると、亀山はみる。日常的生の経験を通して自己を「試す」こと。その「試し」における出来事との出会いを通じて自己(の価値観、行動原理、判断力、知恵)を吟味すること。その吟味を通じて自己を知り、形成すること。その吟味の方法として、「方法的懐疑」――「懐疑のための懐疑ではなく、自己の生に責任をもつにたえうる自身の基準・原理を見いだすための懐疑」(価値、七五)を亀山はデカルトのうちに見出す。 +なぜデカルトは情念についての考察を行ったのか 留意すべきは、デカルトの生きた十七世紀前半には、まだヨーロッパ各地で魔女狩りの伝統が残っていた点である。情念とその制御についての考察は、この時代に共通する問いであり、モラリストのほか、ホッブズやスピノザも情念についての論文を書いている。むしろ情念一般を有害なものとみなさなかったデカルトの卓見にこそ注目したい。 以上のような、デカルトの『情念論』を参照して考察される、生の経験による「試し」の行為と思索とは、第二部、第三部の相対的に独立した主題にも共通する課題意識として、また方法態度として一貫して採用されている。以降に扱う亀山のほかの著作においても、疎外の局面について、人間を現実的な感性的存在と見る立場からとらえることの必要性(心身の分離、個人の抑圧などの文脈の下で)が抜き差しならないものとされ、その問題意識の系譜には、フォイエルバッハの疎外論がおかれる。しかし、フォイエルバッハの疎外論は、感性的存在としての諸個人が、自らの受苦と悲惨を直視し、人間としての主体的振る舞いを確立(自己確証)することには言及しても、理論と実践とが往復運動のなかで彫琢されていくことこそが現実的意義をもちうる倫理である、というイメージを直接に導くことはできない 。 +フォイエルバッハにおける「理論と実践」の関係 もちろん、フォイエルバッハ自身は、「哲学改革のための暫定的命題」一八四二年のなかで、「哲学の本質的な道具、器官」として「頭脳」と「心臓=心情Herz」をあげてはいる(フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』岩波文庫、一九六七年)だが、フォイエルバッハのその側面は一般的にあまり注目されていないように思われる +〈宗教論〉、〈風土論〉にみられるデカルトの影響 亀山は、八〇、九〇年代の「宗教ブーム」を論じるにあたっては、非宗教的・科学的な世界観を次のように位置付ける。「理性・合理主義、さらには非宗教的科学的世界観の基盤はなにより諸個人の感性的な生活世界(経験的な実践的世界)の合理化(意味の新たな秩序化と相互理解可能にあったのである。合理主義・科学が真理だからこの意義をもったのでなく、この意義ゆえに真理としての権威をもちえたのである」(「宗教ブームが映す近代の光と影」『近代を問い直す』)。この位置付けは、同書の脚注で述べられているように、野田又男のデカルト評価と合わせて捉えないと、幾分唐突なものと思える。野田は、「良識Bon Sens」がこの世でもっとも公平に分け与えられているというデカルトの文言に、方法的懐疑を通した合理主義の理論化の原点があったと考える(野田又男『デカルト』岩波新書、一九六七年)。つまり、「我々の意見がばらばらであるのは、我々のうちのある者が他の者よりもより多く良識を持つから起こるのではなく、ただ我々が自分の考えをいろいろ違った道によって導き、また我々の考えていることが同一のことではない、ということから起こるのだ」(『方法序説』)という確信が、合理主義=非宗教的・科学的な世界観の根底にあるとしている。この知見は、フォイエルバッハの宗教論だけでは導けない。 また、<風土論>において亀山は、風土的環境倫理の骨格は、合意を原理とするハーバマス流のコミュニケーション倫理に置く(風土、二二〇)。ハーバマスの援用の思想史的背景にも、デカルト=野田の合理主義観を交えなければ、「地球レベルの“普遍的”原理にもとづくグローバル倫理」(風土、二一二)の構想は、それまで地域サイズで行ってきた風土的環境倫理の考察からは、唐突なものと思える。 亀山は『人間と価値』以降、価値論を主題として論じてはいない。しかし、現実的意義をもちうる倫理とは、学的道徳論・倫理学と、体験的道徳・倫理論の双方向の往復の過程のなかから生まれる。前者は後者の「理論的試し」であり、後者は前者の「実践的試し」である、という姿勢は宗教論、風土論まで一貫している。そのため、この姿勢の思想史的背景を捉えそこなうと、「各人の自立性・主体性を中核とする」、「諸個人の生の主体的ふるまい」(宗教、一三八)という一節にある、<「試し」の単位としての主体>、<生活において吟味する単位としての主体>というニュアンスを見落とすこととなる。 以下、宗教論では、デカルト的「試し」のニュアンスの見落としを一因とする『「宗教」』への伊藤敬による批判と、それに対する亀山の再批判を中心に、亀山の欲求の捉え方について考察する。これは、価値が本源的に社会的価値であり、「欲求的価値」 であるとする『価値』とも関連する。 +「欲求的価値」 同書第二部で、亀山は、欲求的価値と規範的価値、個人的価値と社会的価値の分裂は、社会の分化と階級の分裂によって生じる過程を考察している(価値、一五一~一五四頁)。特殊 性を「(歴史的に)普遍性のある価値」として通用させるイデオロギーは、階級の分裂なかから形成される。 また、「欲求と疎外」と題された第三部では、最初に価値意識の類型を欲求的価値、手段的価値、規範的価値に大別し、人間の根源的欲求こそがこれらの価値を基礎づけるとしている。このときに参照されるのがフォイエルバッハの窮迫Notleidendの概念である。フォイエルバッハは、人間を本質的に欲求主体としてとらえ、「受苦的存在Notleidendes Wesen」と規定して、所与の現実における受苦の直視、人間的欲求の抑圧(貧困、自由の抑圧、愛の喪失)の直視をあらゆる営為の出発点とする。「限界もなく時間もなく窮迫もないところには、質もなくエネルギーもなく精気もなく情熱もなく愛もない。窮迫Notleidendした存在だけが、必然的Notwendigな存在である。欲求のない生活は余計な生活である」(フォイエルバッハ、前掲書、一一〇頁)という視角を、<価値論>における「欲求」は、直接的に継承している。
https://w.atwiki.jp/kidscindy/pages/187.html
だいたいの流れは、インシデントのときと同じなので、ちゃっちゃと作ってしまった。 これはフォイエルバッハの定理の自動証明画像